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最高裁判所第三小法廷 平成5年(オ)1924号 判決

上告人

株式会社丸共

右代表者代表取締役

小田円一

右訴訟代理人弁護士

渡部邦昭

被上告人

村越幸男

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人渡部邦昭の上告理由第一点について

一  本件請求は、請負人である上告人が注文者である被上告人に対して工事残代金及びこれに対する約定遅延損害金の支払を求めるものである。

原審の適法に確定したところは、次のとおりである。(1) 上告人は、昭和六一年一二月二四日、被上告人との間に、被上告人が従来有していた納屋を解体して新たに住居を建築する工事について、工事代金を一六五〇万円、その支払遅滞による違約金の割合を一日当たり未払額の一〇〇〇分の一とする請負契約を締結した。(2) 上告人は、昭和六二年一一月三〇日までに、被上告人に対し、右工事を完成させて引渡したほか、追加工事(工事代金三四万四一四七円)も行った結果、既払分を控除した工事残代金は、合計で一一八四万四一四七円である。(3) 他方、右工事の目的物である建物には、一〇箇所の瑕疵が存在し、その修補に要する費用は、合計一三二万一三〇〇円である。

二  被上告人は、上告人の本件請求に対し、右瑕疵の修補に代わる損害賠償債権との同時履行の抗弁を主張し、上告人は、被上告人が同時履行の抗弁を主張し得るのは、公平の原則上、右損害賠償額の範囲内に限られるべきであり、被上告人が工事残代金全額について同時履行の抗弁を主張するのは、信義則に反し、権利の濫用として許されない旨主張して争っている。

三 請負契約において、仕事の目的物に瑕疵があり、注文者が請負人に対して瑕疵の修補に代わる損害の賠償を求めたが、契約当事者のいずれからも右損害賠償債権と報酬債権とを相殺する旨の意思表示が行われなかった場合又はその意思表示の効果が生じないとされた場合には、民法六三四条二項により右両債権は同時履行の関係に立ち、契約当事者の一方は、相手方から債務の履行を受けるまでは、自己の債務の履行を拒むことができ、履行遅滞による責任も負わないものと解するのが相当である。しかしながら、瑕疵の程度や各契約当事者の交渉態度等に鑑み、右瑕疵の修補に代わる損害賠償債権をもって報酬残債権全額の支払を拒むことが信義則に反すると認められるときは、この限りではない。そして、同条一項但書は「瑕疵カ重要ナラサル場合ニ於テ其修補カ過分ノ費用ヲ要スルトキ」は瑕疵の修補請求はできず損害賠償請求のみをなし得ると規定しているところ、右のように瑕疵の内容が契約の目的や仕事の目的物の性質等に照らして重要でなく、かつ、その修補に要する費用が修補によって生ずる利益と比較して過分であると認められる場合においても、必ずしも前記同時履行の抗弁が肯定されるとは限らず、他の事情をも併せ考慮して、瑕疵の修補に代わる損害賠償債権をもって報酬残債権全額との同時履行を主張することが信義則に反するとして否定されることもあり得るものというべきである。けだし、右のように解さなければ、注文者が同条一項に基づいて瑕疵の修補の請求を行った場合と均衡を失し、瑕疵ある目的物しか得られなかった注文者の保護に欠ける一方、瑕疵が軽微な場合においても報酬残債権全額について支払が受けられないとすると請負人に不公平な結果となるからである(なお、契約が幾つかの目的の異なる仕事を含み、瑕疵がそのうちの一部の仕事の目的物についてのみ存在する場合には、信義則上、同時履行関係は、瑕疵の存在する仕事部分に相当する報酬額についてのみ認められ、その瑕疵の内容の重要性等につき、当該仕事部分に関して、同様の検討が必要となる)。

四  これを本件についてみるのに、原審の適法に確定した事実関係によれば、本件の請負契約は、住居の新築を契約の目的とするものであるところ、右工事の一〇箇所に及ぶ瑕疵には、(1) 二階和室の床の中央部分が盛り上がって水平になっておらず、障子やアルミサッシ戸の開閉が困難になっていること、(2) 納屋の床にはコンクリートを張ることとされていたところ、上告人は、被上告人に無断で、右床についてコンクリートよりも強度の乏しいモルタルを用いて施工し、しかも、その塗りの厚さが不足しているため亀裂が生じていること、(3) 設置予定とされていた差掛け小屋が設置されていないこと等が含まれ、その修補に要する費用は、(1)が三五万八〇〇〇円、(2)が三〇万八〇〇〇円、(3)が一八万二〇〇〇円であるというのであり、また、被上告人は、昭和六二年一一月三〇日までに建物の引渡しを受けた後、右のような瑕疵の処理について上告人と協議を重ね、上告人から翌六三年一月二五日ころ右瑕疵については工事代金を減額することによって処理したいとの申出を受けた後は、瑕疵の修補に要する費用を工事残代金の約一割とみて一〇〇〇万円を支払って解決することを提案し、右金額を代理人である弁護士に預けて上告人との交渉に当たらせたが、上告人は、被上告人の右提案を拒否する旨回答したのみで、他に工事残代金から差し引くべき額について具体的な対案を提示せず、結局、右交渉は決裂してしまったというのである。そして、記録によれば、上告人はその後間もない同年四月一五日に、本件の訴えを提起している。

そうすると、本件の請負契約の目的及び目的物の性質等に照らし、本件の瑕疵の内容は重要でないとまではいえず、また、その修補に過分の費用を要するともいえない上、上告人及び被上告人の前記のような交渉経緯及び交渉態度をも勘案すれば、被上告人が瑕疵の修補に代わる損害賠償債権をもって工事残代金債権全額との同時履行を主張することが信義則に反するものとは言い難い。

原判決は、被上告人に対し、工事残代金を損害賠償債権のうち八二万四〇〇〇円と引換えに支払うよう命ずるに当たり、その理由として、単に右損害賠償債権の合計額を工事残代金債権額と比較してこれが軽微な金額とはいえないなどとしたかのような措辞を用いている部分もあるが、その趣旨は右に説示したところと同旨と理解することができ、被上告人の同時履行の抗弁を認めた原審の判断は、これを是認することができる。論旨は、独自の見解に基づき又は原判決を正解しないでその法令違背をいうものであって、採用することができない。

同第二点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものであって、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官可部恒雄 裁判官園部逸夫 裁判官大野正男 裁判官千種秀夫 裁判官尾崎行信)

上告代理人渡部邦昭の上告理由

上告理由第一点

原判決は、被控訴人が同時履行の抗弁権を行使しうる範囲は、公平の原則上、損害賠償額の範囲に限られるべきであるとの控訴人の主張に対して、「民法第六三四条二項後段は、請負契約の当事者の有する請負代金支払義務と瑕疵の修補義務ないし損害賠償義務との相互間には、その全部に牽連関係があることから、民法五三三条の規定を準用したものであるから、注文者を負担する請負代金支払義務が可分である場合においても、その給付の価額または価値が著しく少ない等、請負人が債務の全部の履行を拒むことが信義誠実の原則に反するといえるような特段の事情が認められない限り、同時履行の抗弁権をもって履行を拒絶できる債務の範囲が一部に限定されるものではないと解するのが相当である。これを本件についてみると、被控訴人の負担する請負代金の支払義務は可分な給付であるが、控訴人の負担する修補に代わる損害賠償義務との対応関係は明確にはできないことから、全体として牽連関係があり、全面的に同時履行の関係にあると解するのが相当である。」と判示しているが、これは民法六三四条二項後段が準用する民法五三三条の解釈適用を誤っているもので判決に影響を及ぼす違法があり取消を免れない。

(一) 民法六三四条第一項は、「仕事の目的物の瑕疵があるときは注文者(被控訴人)は請負人(控訴人)に対し相当の期間を定めてその瑕疵の修補を請求することができる。」、「但し、その瑕疵が重要ならざる場合においてその瑕疵の修補が過分の費用を要するときは、この限りにあらず。」と規定している。即ち、目的物の瑕疵が重要でなく、かつ、その修補に過分の費用を必要とするときには請負人は、瑕疵修補義務を免れ、注文者は損害賠償を請求できるだけになる。従って、注文者は重要ならざる瑕疵、即ち、軽微な瑕疵を理由として全部の報酬の支払を拒絶することはできないのである。信義誠実の原則に反し、権利の濫用となるからである。

右との衡平上、当然に注文者の負担する請負代金支払義務が可分である場合には相応する部分に限って同時履行の抗弁権を行使し得ると解すべきであって、原判決の判示する如く、「その給付の価値または価値に比して請負人のなすべき給付の価額または価値が著しく少ない等、請負人が債務の全部の履行を拒むことが信義誠実の原則に反するといえるような特段の事情が認められない限り」というような要件は不要と解すべきである。けだし、「請負契約における注文者の工事代金支払義務と請負人の目的物引渡義務とは対価的牽連関係にたつものであり、瑕疵のある目的物の引渡を受けた注文者が請負人に対し取得する瑕疵修補に代わる損害賠償請求権は、右法律関係を前提とするもので、実質的・経済的には、請負代金を減額し、請負契約の当事者が相互に負う義務につき、その間に等価関係をもたらす機能を有するものである。」(最高裁昭和五〇年(オ)第四八五号、昭和五一年三月四日第一小法廷判決、民集三〇巻二号四八頁、最高裁昭和五二年(オ)第一三〇六号・一三〇七号、昭和五三年九月二一日第一小法廷判決、判例時報九〇七号五四頁参照)から、等価関係を超えて、同時履行の抗弁権を行使しうることを認めること自体が信義公平の原則に反するからである。

(二) 仮りに、原判決の右の判示のように、「請負人が債務の履行を提供するまで自己の債務の全部の履行を拒むことが信義誠実の原則に反するといえるような特段の事情」が必要であると解するとしても、本件においては、右の「特段の事情」が存するものである。原判決は、右の「特段の事情」の例示として、「その給付の価額または価値に比して請負人のなすべき給付の価額または価値が著しく少ない等」と挙げている。原判決の認定によれば、控訴人(請負人)の負担する損害賠償義務は一三二万一、三〇〇円であり、被控訴人(注文者)の負担する請負代金支払義務一、一八四万四、一四七円の約九分の一にすぎないのであって、原判決の例示する「特段の事情」に明らかに該当するものである。しかるに、原判決は、「控訴人の負担する損害賠償義務自体決して軽微な金額とはいえない」と判示している。しかし、右の判示は全く納得できない。「軽微な金額とはいえない」とは、控訴人の負担する一三二万一、三〇〇円がそうだという意味であるとしか解し得ないが、これは明らかにおかしい。軽微か否かは被控訴人の負担する請負代金支払義務一、一八四万四、一四七円と対比によって決すべき事柄であるからである。控訴人の負担する損害賠償義務一三二万一、三〇〇円をとらえて「軽微な金額」でないと断ずるのはあまりに一方的かつ片手落ちというほかない。原判決の認定する、瑕疵修補に代わる損害賠償の内容は建物自体の使用に支障の生じるものでない軽微なものばかりである。(原判決も居住に使用するのに支障がない程度に出来上がっていると認定している。)

(三) 原判決は、前記判示のとおり、被控訴人の負担する請負代金の支払義務と控訴人の負担する修補に代わる損害賠償義務との対応関係は明確にはできないから、全体として牽連関係があり、全面的に同時履行の関係を生じる旨述べている。右の修補に代わる損害賠償義務との対応関係という意味が不明であるが、右の修補に代わる損害賠償義務は同時履行の抗弁権を行使する被控訴人の方が明らかにすべき事柄である。(立証責任は被控訴人にある。)

従って、「対応関係が明確でないから、全体として牽連関係があり、全面的に同時履行の関係が生じる」との説明は明らかに間違っている。右の「対応関係」が明確にはできないのなら、被控訴人の同時履行の抗弁権を排斥すべきであるからである。

(四) 原判決は、控訴人が「昭和六三年初めころ、一、〇〇〇万円の支払で一切を解決する旨の申入れを受けたが、これを拒絶しながら、具体的な修補費用を明らかにする等して交渉していない」という事情をもって、信義則違反にならないという判断と結びつけているが、これは明らかに不当なものである。けだし、被控訴人の方で控訴人に対して金一、〇〇〇万円で示談にしたい旨の申入れをするのなら、被控訴人の方で具体的な修補費用を明らかにして交渉すべきである。(被控訴人の主張・立証責任に属する。)

被控訴人は、右申入れを代理人弁護士を通じて行っているが、具体的な修補費用を(請負代金の約一割というのみで)全く明らかにしていない。従って、原判決の指摘する右の事情は、かえって、被控訴人を拒絶して請負代金債務の履行遅延の責任を免れしむることが信義誠実の原則に反する事情というべきである。被控訴人としては、金一、〇〇〇万円で示談ができない場合でも、その全部または一部を内金として控訴人に支払うべきであり、それをしないのは著しく信義則にもとるものである。けだし、被控訴人が金一、〇〇〇万円の示談の提示をしたことの中に被控訴人の主張する修補費用は、請負代金債務と比較して著しく少ない(原判決の認定によれば請負残代金の一割)ことが看てとれるからである。

また、原判決の認定するように、控訴人は昭和六三年一月二五日付書面をもって、被控訴人に対し、納屋のコンクリート床の亀裂や差掛け小屋の設置等は他の業者に依頼してもらい、本件工事の代金から差し引くことで話し合いたい旨申入れている(乙第五号証)のであるから、被控訴人が修補費用として請負代金の約一割が妥当であると考えているのなら、それに相当する金額を除した金額について、履行の提供をして支払ってやるべきである。しかるに、被控訴人は金一、〇〇〇万円で示談しないのなら、請負代金全部の支払を拒絶するとの態度をとったものであるから、修補費用を超える部分の請負代金債務について履行遅滞の責任に陥ってもやむを得ないというべきであり、そう解釈しないと著しく信義誠実の原則に反するといわなければならない。

以上のとおりであって、控訴人の負担する損害賠償義務一三二万一、三〇〇円の限度で同時履行の関係が生じるのにすぎないと解するのが相当である。(従って、被控訴人の負担する請負代金債務一、一八四万四、一四七円と一三二万一、三〇〇円の差額一、〇五二万二、八四七円については、被控訴人は昭和六三年一二月一日から履行遅滞の責任を負うと解すべきである。

上告理由第二点

原判決は、「昭和六三年一月二五日頃到達した書面で相殺した旨主張する。しかし、前記四6で認定した同日付の書面(乙第五号証)の記載内容自体、受働債権額は明らかでない等相殺の趣旨は明確ではない」ので、相殺の意思表示があったとは解することはできない旨判示している。しかし、右の判示は、民法五〇五条の解釈適用を誤っており、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであり、取消を免れない。

確かに、昭和六三年一月二五日の時点では、被控訴人の控訴人に対する瑕疵修補に代わる損害賠償の内容や額は明確にはなっていなかったので、「控訴人は昭和六三年一月二五日付書面をもって、被控訴人に対し、納屋のコンクリート床の亀裂や差し掛け小屋の設置等は他の業者に依頼してもらい、本体工事の代金から差し引くことで話をしたい旨申し入れた。」という表現にならざるを得なかった。しかし、右書面の中には、「本体工事の代金から差し引く」との相殺の意思が明らかに表示されていること、また、右の時点で、受働債権額が明らかでないとしても、その後の本件訴訟の中で被控訴人の方から明らかにされた(被控訴人から瑕疵修補に代わる損害賠償請求の額が明らかにされたのは、平成三年九月二四日付準備書面においてである。)のであるから、少なくとも、右準備書面が陳述された時点において、乙第五号証の書面の意思表示と合わせ、総合的に解釈し、相殺の効力を是認すべきである。

上告理由第一点の補充

右において述べたように、乙第五号証の書面において、本件工事の代金から差し引いて、残りの工事代金を支払ってもらいたい旨が明らかに看取できる内容であるから、被控訴人としては、瑕疵修補に代わる損害賠償額を約一割(原判決認定)とみているなら、約金一、〇〇〇万円については、条件などつけずに控訴人に対して支払ってやるべきである。それなのに、被控訴人は控訴人が金一、〇〇〇万円で示談に応じないのなら、請負残代金の全部を支払わない旨の高慢な対応をしたのである。控訴人としては、本件紛争の示談金としてではなく、支払ってもらえるのなら、受領する意思であった。控訴人は、金一、〇〇〇万円を控訴人に支払ってさえいれば、履行遅滞の責任を免れることができたのに、それをしなかったのである。

右の事情を斟酌すれば、被控訴人の瑕疵修補に代わる損害賠償額を超えて、控訴人の請求しうる請負代金全体について同時履行の抗弁権を主張しうると解するのは、信義公平の原則に反するといわなければならない。本件においては、被控訴人の同時履行の抗弁権の行使しうる範囲は、信義公平の原則上、損害賠償額の範囲に限られるべきである。

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